壬生の歴史と食文化

壬生 -MIBU- 歴史と食文化

栃木県南部、思川の支流黒川下流域台地にある城下町「壬生(みぶ)」。
江戸時代には、日光参詣の大名行列や北関東の物資搬出のために宿場町としてもたいそう賑わった交通の要でもありました。
1712年から壬生城主であった鳥居忠英公は、産業復興を図るため、前領地の近江・水口から農産物を取り寄せました。肥沃な台地に恵まれたこの地で、鳥居のお殿様肝いりの農業は飛躍的に成長。数々の優秀な農産物を生み出しました。

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壬生藩の特産物

最近、耳にすることが少なくなった”稲葉牛蒡”『壬生通宿村大概帳』には、ごぼうや小豆のほか素麺等の産物があったことが記されています。
ごぼうは、”稲葉牛蒡”として、領内の下稲葉・上稲葉・七ツ石村など下稲葉台地上の村々の特産物でした。
安政六(一八五九)年の『扶桑名所名物集下野園』には、各名所・名物が相撲の番付になぞらえ”稲葉牛蒡”は、「前頭八前目」にランクされました。
なお、江戸後期に編さんされた本草図譜『成形図説』には”下野稲葉” ”伊予(愛媛)菅澤”のごぼうは太く、長く、風味佳く、多くの料理に使われたと記されています。
なお、「ごぼう引(掘り)」は絵心を誘うのか錦絵にも度々登場しています。

稲葉牛蒡(ごぼう)について

稲葉のごぼうは明治時代以降も高い評価を得ていたようで、大正4年に行われた下稲葉農産品評会では、「牛蒡ハ蔬菜類中最も優物ニ富ミ形状品質等殆ド間然スル所ナキノ良品」と評されています。
昭和8(1933)年刊行の『栃木県史』でも稲葉村について「古来より牛蒡の産を以って名あり、現在に於ても良質の牛蒡を産し好評を博せり」と記しています。
稲葉の牛蒡は近代でもその品質の高さで有名だったことがうかがえます。

成形図説(巻二三)
成形図説(巻二三)

国立公文書館所蔵 「成形図説23」(請求番号 196-0102)
https://www.digital.archives.go.jp/item/4242175(参照 2026-07-23)

薩摩藩主島津重豪の命によって曾槃らが編纂した農書にして本草図譜です。巻二三には「牛蒡(ゴバウ)」の項目があり、彩色された精緻ば挿絵と、解説には「山城ノ八幡鞍馬、武蔵ノ岩築、下野ノ因幡(稲葉)、常陸ノ土浦、筑紫は筑後ノ来目・大隅ノ府屋、四国は伊予の菅澤」と産地を掲げ、品質の良さを誇っています。

山海愛度図会 稲葉牛蒡

壬生町立歴史民族資料館所蔵
https://www.mibu-rekimin.jp/cultural_property/sankaimedetaizue/

「~たい」という言葉を題にした女性の仕草に、諸国の名産を取り込んだ風景画のコマ絵を組み合わせたシリーズです。本作は「人形になりたい」女性を描いたもので、コマ絵は「下野稲葉牛蒡」を組み合わせています。県内唯一の錦絵でもあります。

日本山海名物図会(巻四)
日本山海名物図会(巻四)

壬生町立歴史民族資料館所蔵

長谷川光信画。図会は、各地の物流やその製法を、簡潔な説明と写実的な挿絵で紹介したものです。本作は伊予牛蒡の「牛蒡掘り」を描いたもので、解説に「長さ三四尺の伊予牛蒡は、牛蒡の名産地八幡産よりも太い」と大きさを表現し、さらに「假使項羽の力なりとも鋤なくしては牛蒡ぬきができない」と補足しています。

稲葉薑(しょうが)について

稲葉牛蒡と同様に、幕府への献上品として伝承が残る「稲葉薑(生姜)」について記します。栃木県産業要覧(大正15年発行)によれば、蔬菜栽培に適した土地でありながら、栽培は乏しかった栃木県内でこの分野の発展が見られた契機は、明治41年に大日本帝国陸軍の第14師団が現在の宇都宮市に設置されたことに端を発していると紹介されています。同要覧によると、県や農業試験場が主導した品評会の開催、園芸専任の技術員を設置などの取り組みにより品質が向上し、大正時代に入ると東京方面にも販路を拡大したことが記録されています。
これらの成果が積み重なり、大正15年時点にはこの一連の指導奨励において著名な実例の1つとして「稲葉薑」が評価されるに至りました。また、後の栃木県産業要覧(昭和30年発行)による記録では、稲葉村が古来より薑の産地として知られており、種子用および漬物用として広く流通し、関東地方のみならず北海道方面にまで販路が拡大されたと記されています。 しかしながら、「稲葉薑」の由来や具体的な流通状況等については、現時点では不明な点が多く、さらなる研究や情報の補完が求められています。

らっきょうについて

らっきょうについても、江戸時代にまとめられた『壬生領史略』には、壬生藩領の産物一覧が記されており、
福和田地区ではらっきょうが栽培されていたことが記されています。
こうした文献からも、壬生では古くから らっきょうが地域の産物として知られていたことがうかがえます。

大名の献立記録から

壬生藩鳥居家4代目藩主、鳥居忠燾(ただてる)が文化2(1805)年7月に食した料理を記録した資料によると、文中にはごぼうや干瓢、生姜を使用した料理が登場しており、壬生のお殿様もこれらの食品を食していたことがうかがえます。
「すり生姜」が食材として頻繁に登場することから、生姜が料理の風味付けに重用されていたと考えられます。

壬生とすが野の関わり

肥沃な畑作地帯で根菜類に適した環境

日光連山を望むこの土地には、全国的にも優秀ならっきょうや、生姜、ごぼうなどの野菜が土の中で育っています。それはこの辺りの土地に秘密がありました。
壬生周辺の地下には、鹿沼軽石(鹿沼土)の地層があり(鹿沼・壬生付近は特に厚く)保湿も適度で水はけの良い土地になっています。そこに日光の山の恵みの何本もの河川がこの土地をならし育みました。
また、気候的にも昼夜の寒暖差があり、土・水・空気と三拍子そろった、野菜の栽培に極めて適した地域となっていたのです。

漬物製造・販売のはじまり

大正7年に青果業として創業した当社では、豊作の時に余った野菜を漬け込むことから、昭和7年に漬物の製造・販売が始まりました。昭和20年には漬物専業として新工場を竣工し、昭和23年には地元農家と野菜栽培契約を結び栽培指導を始めております。「農家の皆様の安定した生活を守り、おいしい野菜を作る」という当時の考えは、今も変わっていません。

水と大地のこだわり

土作りから農家の皆様と協力し、すべての工程に係わることで、安心・安全とおいしさを追求することが出来ます。当社の「食」へのこだわりが、農家・消費者であるお客様・そして私たち、それぞれの幸せを実現することに繋がっていくと考えております。

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