壬生藩の特産物
稲葉牛蒡について
稲葉のごぼうは明治時代以降も高い評価を得ていたようで、大正4年に行われた下稲葉農産品評会では、「牛蒡ハ蔬菜類中最も優物ニ富ミ形状品質等殆ド間然スル所ナキノ良品」と評されています。
昭和8(1933)年刊行の『栃木県史』でも稲葉村について「古来より牛蒡の産を以って名あり、現在に於ても良質の牛蒡を産し好評を博せり」と記しています。
稲葉の牛蒡は近代でもその品質の高さで有名だったことがうかがえます。
稲葉薑について
稲葉牛蒡と同様に、幕府への献上品として伝承が残る「稲葉薑(生姜)」について記します。栃木県産業要覧(大正15年発行)によれば、蔬菜栽培に適した土地でありながら、栽培は乏しかった栃木県内でこの分野の発展が見られた契機は、明治41年に大日本帝国陸軍の第14師団が現在の宇都宮市に設置されたことに端を発していると紹介されています。同要覧によると、県や農業試験場が主導した品評会の開催、園芸専任の技術員を設置などの取り組みにより品質が向上し、大正時代に入ると東京方面にも販路を拡大したことが記録されています。
これらの成果が積み重なり、大正15年時点にはこの一連の指導奨励において著名な実例の1つとして「稲葉薑」が評価されるに至りました。また、後の栃木県産業要覧(昭和30年発行)による記録では、稲葉村が古来より薑の産地として知られており、種子用および漬物用として広く流通し、関東地方のみならず北海道方面にまで販路が拡大されたと記されています。 しかしながら、「稲葉薑」の由来や具体的な流通状況等については、現時点では不明な点が多く、さらなる研究や情報の補完が求められています。
大名の献立記録から
壬生藩4代目藩主(鳥居家9代当主)、鳥居忠燾(ただてる)が文化2(1805)年7月に食した料理を記録した資料によると、文中にはごぼうや干瓢、生姜を使用した料理が登場しており、壬生のお殿様もこれらの食品を食していたことがうかがえます。
「すり生姜」が食材として頻繁に登場することから、生姜が料理の風味付けに重用されていたと考えられます。
